江戸時代の重罪である島流しってどんな生活だったのだろう?

「島流し」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。重罪を犯した罪人が、その名の通り島へ流された罪のことを指します。島流しにあった人は一体どんな生活を送っていたのでしょうか?

つかさ
つかさ

こんばんは!
つかさです

つかさ
つかさ

島流しって言葉を聞いたことがありますか?

あります!
何か悪いことをして遠くへ隔離されるイメージがあります

かな
かな
つかさ
つかさ

うん。その通りですね。
江戸時代、死刑に次ぐ重罪として島流しがありました

つかさ
つかさ

今回はそんな島流しにあった人がどの様な生活を送っていたのか?
調べてみましたので共有します!

確かにどんな生活を送っていたのか気になります。。

かな
かな

島流しと言ってもどこへ流されたの?

江戸時代、島流しといえば死刑の次に重い重罪でした。
島流しを宣告された人は、家族や身内に別れも告げられないまま、江戸から遠い島へと流されました。

ですが、島といっても無人島ではなく島民も生活する島へと刑流されました。

主な流刑地として有名立ったのは、

主な流刑地

①伊豆七島

②佐渡ヶ島

③壱岐

など

どこも江戸からは遠いですね。。

かな
かな

これらの島への船は、年に二回しかなかったと記録が残っている様です。

そのため、年二回の船が出るまでは牢屋で監禁されていました。

島流しの日が決定されると、親戚等に島流しの日が知らされ、特別に差し入れが許されたそうです。
差し入れができる量は、

差し入れができた量

①米なら20俵まで

②金なら20両まで

この差し入れの量が、島で生活いや生きていくための財産となりました。

島での生活はどの様なものだったのか?

流された島は無人島ではなく、住民が生活するごく普通の島でした。

では、囚人は住民と生活をする上で何が違ったのでしょうか?

えっ!
島では住民と一緒に普通の暮らしが出来たのですか?

かな
かな
つかさ
つかさ

うん
厳密には違うのだけど、島で住民と共に生活していたことは事実だよ

え〜
それでは刑ではないじゃないですかぁ

かな
かな
つかさ
つかさ

そう思うよね
でも実際は住民との生活には大きな違いがあったんだ

つかさ
つかさ

次に詳しく違いを説明するよ

あっ
お願いします

かな
かな

島流し者の島での生活ルール

先にも書いた通り、島には住民も生活しています。

それぞれ村の人口の10%程度になるように囚人を配置、それぞれの村では、俗にいう「五人組」組織に囚人を加え、囚人をその監視下におきました。
囚人には、掘立て小屋の様な建物を用意し、そこが囚人の生活の拠点となりました。
また、わずかですが小さい畑も与えられた様です。

家と畑が与えられたんですね
ますます優遇されているような。。

かな
かな
つかさ
つかさ

いやいや、
家と畑を与えられたといっても、掘立て小屋とわずかな畑です

つかさ
つかさ

それに、次に記載するルールもあり生活はかなり厳しかった様です

島では生活ルールがあり、そのルールを守ってさえいれば普通に島で生活しても構わなかった様です。
島での主なルールは、島からは決して逃げないこと、生活している村からは決して出ないこと、囚人同士での交流は決して行わないことがあったそうです。
さらに大きなルールとしては、囚人にはいっさい食料が与えられませんでした。
自分でわずかな畑を耕すか、村の農業や漁業、その他の村の仕事を行い食料を得るしかなかった様です。
島のため水に乏しく、飢餓などが発生した際には幕府から食料が送られ、住民には行き届きましたが、囚人にはいっさい与えられませんでした。

ここまで聞くと、厳しいルールですね

かな
かな
つかさ
つかさ

うん
なので、正直生活は厳しかったと思うよ

厳しいルールの中で生活できた囚人は?

島流しにされた囚人たちは、これらの厳しい状況を克服できたのでしょうか?

正直、かなり厳しかったはずです。

わずかに生き残った人は、技術を持った職人や知識や学識があった者で食料を得る糧があった者だけでした。
また、学識がある者は住民たちへ読み書きを教えて食糧などの稼ぎを得て生活していた様です。

つかさ
つかさ

どうでしょうか?
住民と一緒に生活できたとはいえ、決して楽ではなくではなく、食糧を得る糧がなかったのです

島流しの刑が重罪である理由がよ〜くわかりました

かな
かな

いかがでしたでしょうか?

今日は歴史シリーズの第二弾!
江戸時代の島流しについて記載しました。

それでは次回をお楽しみに!

おやすみなさーい